小論文対策+コラム - 早稲田生が贈る言葉 -
- 第21回 時事焦点FOR小論文 第二講 教育編1- 人殺すないうてもわからん時代2 -
ところが、最近この近代教育のモデルに疑問を唱える声が現れ始めている。青少年の性のモラル崩壊、凶悪化する少年犯罪、 ニート・フリーターの出現に見られる無気力な若者……etc.これらは戦後民主主義教育(個人の権利に目を向けるがあまり、 「ゆとり」教育にまで突っ走っていった日本の教育)の失敗を表しているという声だ。
そして、そういった声を唱える方々は冒頭に書いた「教育勅語」を例に出し、戦前の教育のように「倫理・道徳」といった 規範を教えることの大切さを説き、教育基本法に規範性が欠けていることを厳しく叱責している。確かに、教育基本法の前文を 読むとまず民主的で文化的、平和的な国家を創造する(これは日本国憲法の内容とリンクしている)ために、個人を尊重した教育 をして人材を育てていこう……という風なことが書かれている。だが近代的な憲法の意義は国民の人権の保障であって、 その具体的な保障方法は法律に書かれている……というのが定石だからこれはしごく全うなこととも解せられる。
また、教育勅語は明治憲法発布の翌年に実践されたものだから、天皇統治(神権政治)と立憲政治が混濁していた時代の 教育規範ということで現代の完全な民主政治において踏襲することは、憲法政治上の矛盾が生じる可能性が大きい。 (まあ憲法改正が達成されたら、矛盾はチャラなんだろうけどw)
と、こんないうよりも、第一番に考えなければならないこと。それは教育基本法の条文に、教育勅語に書かれているような 「兄弟を想え」「国を大切にしろ」といったことを書いた位で、この国の若者を取り巻く問題は解決できるのかということだ。
まあ仮に教育勅語的な内容が教育基本法に盛り込まれたとしたら、学校の現場の教師の指導内容にも変化が生じるだろう。 だけど思い出してみてほしい。皆さんの中で、学校の先生が言う言葉を完全に真に受けた人っていますか?条文や規範が人と向きあって、 人を教育するのではない。教師という一個人、あるいは他の生徒という一個人が、一人の個人である生徒と向き合って、 その人の今後の人生歩んでいく道に影響が生じていくのだ。条文は無視し続けても、人との対話は容易には無視できない。 その人の数が多ければ多いほど。何も閉塞する若者の「なぜ、人を殺してはいけないのか」という根源的な問いかけに、 完璧な答えが出せなくても良い。
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