小論文対策+コラム - 早稲田生が贈る言葉 -
- 第20回 時事焦点FOR小論文 第二講 教育編1- 人殺すないうてもわからん時代 -
最近大学のゼミで、「教育勅語」に関する論文の発表をした人がいて、それを叩き台にしばらく「教育の未来」を考える議論が続いた。 きっと、受験生の皆さんも「教育」についてはある程度考えるところがあるかと思う。
この国の「教育」論議は、確かに大学以上の高等教育機関よりむしろ、義務教育課程を中心に論じられている。 (レジャーランド化した大学、資本主義社会の発展とともに存在意義の霞む「学者」等々高等教育機関にも論題は山積だが) だから、ついこの間まで義務教育を受けていた受験生の皆さんは義務教育を抜けて、首尾よくいけばようやく大学という自由な? 世界に羽ばたくにつれて自らの受けてきた教育を振り返る機会もあろうかと思っている。
「部活も課外活動も満足にやらせてくれず、授業時間も多い最悪な学校だった」
「授業時間こそ多かったものの、後々の受験のことを考えると非常に役立った」
色んな声があるだろう。この間、話題になっている「ドラゴン桜」(モーニングKC)を読んだら、
「生徒を呼びたければ、事実上教育費の出資者である親の目を引くように、進学に対応力の高い経営をしろ!」
というような旨をあの弁護士が力説していた。概ね正論であろうが、教育の本義は生徒を育てることである。
義務教育〜高等教育機関一年目、二年目までは大抵の人が専門課程を受講する事無く、「普通科」「教養課程」などの名称で、 文系〜理系まで幅広い学問に触れる。幅広い世界を見て、その中で自分の琴線に触れた道を目指すような生徒を創るために、 学校は「機会」を提供しているのだ。
これと同じように部活や課外活動を用意することもまた、「学問」外の「機会」を提供して視野の広い、 バランスの取れた人材を輩出するために学校は「機会」を提供する。
かつて明治の富国強兵の時代は、教育とは国威発揚、国力増強、平たく言えば「強い国家を作るために使える人材を育てる」ための手段だった。 だが、近代の教育とは上述のように「機会」を提供すること。青少年には、彼らが社会に出た後柔軟に問題に対処していけるような 幅広い能力をつけておく必要性があって、よって彼らには普通教育を受ける「権利」がある。つまり、「権利」という個人の主張に適うよう、 学校は「機会」を提供しなければならなくなったのだ。
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