小論文対策+コラム - 早稲田生が贈る言葉 -
- 第14回 小論文の心得1 -
小論文を書く時。特に受験用小論文を書く時。
気をつけなければならないことは、「エゴイズム」、つまり「エゴ」への対処法だ。
これはどういうことかというと、自分の言いたいことが、特に問題文への解答としてさして 重要でない見解が加速していって、混乱してしまい、問題文への解答としてうまく繋がるように 四苦八苦した結果、支離滅裂な回答ができてしまうという状態のこと。
いくら小論文が自分の「論」を発表する自由度の高い科目と言えど、受験は「情報処理」能力が問われる。
「正しい文章把握」
「背景知識」
「説得力ある文章構成」
の3つがバランス良く整う ことを前提に、常に「理性的に」文章を書かなければ不合格を食らってしまうのだ。
例えば以下のような文章がある。
僕の教え子の一人が書いてきた文章である。
「確かに、理性的に自己決定をし、その結果には責任をとるという自己責任をベースにした教育は、 自己責任論がメディアでも取り上げられているように、時代にある程度合致していると言えよう。 しかし、一方でそうした教育は、社会に大多数存在する『普通の人』が『普通の人』らしく生きれる 自由を侵害しているとも解釈できる。」
これは「市場原理主義における各主体(個人、法人)の自己決定権至上主義の危険性」に関する問題文に 関する論評をせよ、という問題の解答の冒頭部である。
問題文では、近年普遍的価値となりつつある「民主主義=市民主義(論議のある=だが)」。だが、 「近代市民国家はブルジョワ市民主義によって確立していった」事実に鑑みると、 孔子の「恒産無ければ、恒心無し」という言葉(ある程度の財が無ければ公共心を持つ余裕も無いという意味) という言葉にもあるように、民主主義社会において影響力の高い「自己決定」のできる層の人間はごく限られて いるのではないかという問題提起がなされている。
よって、この問題文を論評しようと思ったら
「近代市民国家における自己決定権は著者の言う通り、完全に平等に付与され難い権利だ。例えば……」
とか、
「筆者は近代市民国家の古典的な出自にばかり拘泥しすぎている。権力分立、立憲主義の発達を見ていくと 国内の民の『人権』を最大限保障する機構は、明らかに拡充傾向にある」
といった著者の論理にyes or noかを主軸にした論点が定石。
ところが、この解答では最後の「普通の人……」の一文にも見られるように、 「現代社会において望まれる国民の性質」とでも言うような論点で筆を進めている。
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